SSブログ

島田紳助さんが応援する歌手のRYOEIって、一体何者なのか? [エンターテイメント]

2011年に芸能界を引退した元タレント・島田紳助さんが
8月26日に大阪・なんばHatchで行われた歌手RYOEIさんの
5周年記念コンサートに駆けつけたとの報道がありました。

コンサート会場で島田紳助さんは、
「芸能界に復帰することは1000%ない!」
と断言し、

「みんなブログに書いてね」

と会場を沸かしたそうです。
トークの上手さは、いまだ顕在のようです。

謎なのが、歌手のRYOEIさんとの関係。

なぜ島田紳助さんがこれまでの沈黙を破って
公の場にたったのか?

歌手のRYOEIさんについて、調べてみました。



image.jpg

本名  池間 良栄(いけま りょうえい)
出生  1980年12月16日(33歳)
出身地 沖縄県石垣市
血液型 A型

小学生のときから父親にギターを習い、高校時代から自作曲を人前で披露するようになる。
高校卒業後にプロミュージシャンを目指して大阪の音楽専門学校へ進むが1年も通わずに退学し、
ストリートライブや自主制作アルバム発表など独自の音楽活動を行う。

2003年4月、インディーズからシングル「見えない世界の中で…」を発売。

同年11月1日、「2003浦添音楽祭」に出場し、祖母をテーマにした自作曲「そだち」にて
グランプリを受賞。

同曲が島田洋七の耳に留まり、2004年に映画『佐賀のがばいばあちゃん』
(2006年公開)の主題歌「ばあちゃん」の作曲を担当する
(自身もシングルとして発表しているが、実際に主題歌として劇中に使用されたのは
別の歌手が歌ったものである)

同時期からソロコンサート開催など本格的な活動が始まる。

洋七から島田紳助を紹介され、2006年11月から紳助の経営する
「Bar HASEGAWA」のライブに出演するようになる。

以降は紳助の指導とバックアップの下でメジャーデビューまでの音楽活動を続け、
たびたび紳助の番組に出演する機会も得る。

『クイズ!ヘキサゴンII』から発表されるシングルの作曲コンペティションに参加し、
2009年7月発売の「泣いてもいいですか」の作曲を担当。

同曲のヘキサゴンオールスターズバージョンのミュージックビデオに指揮者として
参加・出演している。

同年8月26日、紳助プロデュースによるシングル「ひらり」でよしもとアール・アンド・シーから
メジャーデビュー。シングル・アルバムのリリースやテレビ番組出演。
「47都道府県キャンペーンライブ」の実施など活動の幅を拡げる。

また、『ヘキサゴンII』のコンピレーション・アルバムやコンサート、
ユニット「エアヴィジュアルバンド」「ツバサ」参加など、ヘキサゴンファミリーの一員にもなった。

2010年前半は『ヘキサゴンII』にクイズ解答者として不定期出演、2011年は一部コーナーに
出演していた。

「もともと勉強嫌い」と自称しており、解答者としての成績は良い方ではなかった。
2010年1月より、活動休止した西野名菜の代理としてNACK5のラジオ番組
『Steppin' Out』のパーソナリティを担当。

タイトルを『Utasha.RYOEI』として同年2月から3月末までの2ヶ月間放送された。

島田紳助さんについては「父親のような存在」と語り、2011年8月に島田紳助さんが引退した際は
「僕は今までどおり、何があっても、紳助さんに恩を忘れず、歌を通して感謝のメッセージを
ずっと送り続けます」と発表した。

以降もライブを中心に活動を続けている。

以上、 http://ja.wikipedia.org/wiki/RYOEIより抜粋




RYOEIさんは、島田紳助さんがMCを務めた「ヘキサゴン」のファミリーの一員
だったんですね。島田紳助さんがデビューの後押しがあったからこそ、今があるみたいです。

では、歌の方は?といいますと



確かに上手いですね。少しASKAっぽいねっとり系の歌声です。

今回の出演の背景としては、島田紳助さんが1カ月前に
泥酔していた際にRYOEIIさんから出演依頼されて、
酔った勢いでOKしてしまったようです。

それでも、自分が後押しした歌手だからと言って火中に飛び込む
島田紳助さんは、やはり凄いと思います。

これからも、RYOEIさんの活躍を見守っていきたいと思います。
スポンサーリンク








共通テーマ:芸能

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。